クリニック通信
2025年8月3日悪魔の饗宴 OBコン
こんにちは。暑い日が続きますね。朝顔は「労働環境が悪すぎる!」とへこたれているのに、マリーゴールドが頑張って花を咲かせています。エアコンの効いた涼しい待合室では”う~ちゃ”が「パプ~」とか「パチャコン」とか言いながら子どもたちに愛想を振りまいています。時々歌う「ドレミ」の歌は、院長に似て少し自信無げで音が外れています。
以前ブログにも書いたことがありますが、私は学生の頃ミュージシャンでした。そう、あの頃の私は診察にマイクなど使わなくても大声を出せていたのです。
筑波大学の学生の頃、医学部の雰囲気になじめなくて他学部に入り浸っていたのですが、そこで入ったサークルが筑波フォーク村と言うサークルでした。音楽サークルを騙りながら音楽のテクニックは磨かず、お酒を飲んで騒ぐことに専念した怪しい集団でした。コンサートでは如何にうまく歌うかではなく、如何に受けを狙うかに心血を注いでいたし、夜は周りの迷惑を顧みず、お酒を飲みながらみんなで大声を歌っていました。みんなで同じ歌を歌うことでカタルシスを感じ、延々と歌い続ける。何処かのカルト宗教よりも危険だったかもしれません。(今は真っ当なバンド集団に更生したようです)。
卒業した後もOBコンと称して年に1回集まってはサバト(悪魔崇拝集会)のような狂宴を繰り広げていました。OBコンは現役の部員(フォーク村村民)が部室にOBを招いて行っていたのですが、開学時からあったサークルです。私は9回生、今は50回生。私が学生だった頃は影も形もなかった人たちです。お世話が大変。制限時間は守らないわ、勝手に歌いだすわ、話が長いわ、、老害に耐えられなかったのでしょう。コロナ自粛を期にOBコンは消滅しました。しかし、サバトは復活したのです。1回生のOBが土浦でライブハウスを経営しており、そこで3年前からOBコンが再開しました。最高齢は70近く、デイサービスに通っていてもおかしくありません。でも、14時から開演して順々に歌いだし、きちんと聞く人も居れば一緒に歌いだす人、大酒飲んで騒いでる人も居てカオス状態です。最後の人が帰ったのが翌日午前3時。13時間歌いっぱなし、飲みっぱなしでした。古希が近い人も居るのに何処にそんな体力があるんだか、やはりサバトなのでしょう。
目をすわらせながらハープを吹く院長と、その対処に困ったOB
私もライブの3週間前から練習を始めました。うずたかく埃をかぶったギターは魔物のような音しか出さず、開いた穴には何かが潜んでいそうです。錆びきった弦で指は擦り切れ、ブルースハープからは微妙に調律の狂った不気味な音が発せられます。大声を出すと咳き込んで歌になりません。でも、毎日診療が終わってから夜更けに練習し、漏れ出る音で近隣住民を脅かしながら、3週間頑張りました。歌ったのはもう30年も前の救急病院時代に作った曲。小児病棟で勤務を始めた新米看護師さんが、数年経って成人病棟に異動した時に贈った「ナースコール」と言う曲です。「ちょっといいね」と褒めてくれた人が居たので調子に乗って下に歌詞を載せました。
翌日が診療なので22時には帰らねばなりませんでしたが、久しぶりにきちんと笑うことも出来たし、OBの皆さんからたっぷりと元気をもらいました。明日も頑張れそうです。
ライブの様子は近いうちにユーチューブに流されるようです。怖いものが見たい方、悪魔のささやきに興味のある方は見てみて下さいね。
ナースコール
G G/B Em C C/B Am D
ナースコールが鳴る 泣き声だけが聞こえる
G G/B E C C D G
泣き疲れた子供の背中を 私はさすり続ける
初めて看る病の子供は とても痛々しくて
触ると壊れてしまいそうで 抱くのがとても怖かった
C D G C D G
ママの代わりになれないけれど 私が守ってあげる
C D G Em C D G
すがりつくあなたのぬくもりが 私に勇気をくれる
寝息だけが聞こえる ミルクの甘い香り
ときおり動く小さな唇 あなたは何を夢見てる
クマのぬいぐるみ くわえたしわくちゃのタオル
みんなあなたの宝物 早くおうちに帰ろうね
ママの代わりになれないけれど 私が守ってあげる
すがりつくあなたのぬくもりが 私に勇気をくれる
ミルクの飲ませ方や 点滴の作り方
全てに戸惑っていたあの頃 今はとても懐かしい
今旅立ちの時 不安が心をよぎる
病の不安は大人も子供も 同じさ今のままでいい
ママの代わりになれないけれど 私が守ってあげる
すがりつくあなたのぬくもりが 私に勇気をくれる
ナースコールが鳴る いたずらで押した笑い声
私は小さくほほ笑んで カルテにまた目を落とす