クリニック通信

2020年9月26日なんでお医者さんになったんですか?~こどもたちからの質問 パート2

こんにちは。涼しくなりましたね。夏から秋への交代は一瞬です。1週間前には上着を着るなんて考えもしませんでした。健兎はお花の耳飾りをしておしゃれしています。かわいい!でも、だまされないで。人間年齢では50代のおじさんなんです。

前回に引き続き、こどもたちからの質問お答えコーナーの第2回です。

「なんでお医者さんになったんですか?」 りこちゃん 

「どのくらい勉強したらお医者さんになれるんですか?」れんのすけくん、らいさちゃん

質問してくれてありがとう~ 

さあ、今回は難問です。質問してくれたのは5歳と10歳。チコちゃんのようですね。適当に答えたら「ボ~ッと生きてるんじゃねえよっ!」と言われそうです。すっかり考え込んでしまいました。書いているうちに、例によってどんどん長くなり、小さなお子さんに対する答えじゃなくなってしまいました。ごめんなさい。お父さんお母さん、分かりやすく伝えてあげて下さいね。

お医者さんになったのは、多分、先生自身がりこちゃんくらいの頃に重い喘息で苦しい思いをいっぱいしたからです。当時は有効な治療薬も予防薬も、病気への理解もあんまりありませんでした。唇を真っ青にして、座った膝に爪を立てて、一晩中眠れずに過ごしました。何度も何度も、、。幼稚園には半分も行けず、旅行当日はいつも発作を起こして行けなくなりました。花火はもちろん、運動も出来ませんでした。だから、今でも野球は苦手です。

でも、その頃はまだお医者さんになろうとは思っていません。実はりこちゃんと同じ年の頃は怪獣博士になろうとしていました。ゴジラ命!小学2年生の頃はあんま(マッサージ師)さん。お母さんの肩を揉んであげた時に「うまいね」と褒めてくれたからです。5年生ではコメディアン。当時日本一のコメディアングループ「ドリフターズ」の「8時だよ、全員集合」と言う番組にハマっていて、メンバーの一人の「加藤茶」さんに弟子入りするつもりでした。中学では学校の先生か新聞記者。歌って踊れないアイドルにも憧れてました。お医者さんの医の字も出てきません。そして高校2年生の時、すっかり治っていたなずの喘息の発作がぶりかえしました。苦しかった、、。当時の記憶が一気によみがえってきました。怖い!薬剤師になって喘息の薬を作ろうと思いました。でも、薬剤師さんの勉強は化学記号とかたくさん覚えなければいけなそうでとても難しそう。座学は苦手です。それならいっそお医者さんになった方が好きにお薬を出せると思いました。知識は乏しくても、苦しさ辛さはよ~く知っています。あの辛さをこどもたちにさせたくないとも思いました。自然に小児科医に結び付きました。

家に籠もることが殆どだったため、その分本を読む機会と空想に耽る時間が多かったと思います。それはお勉強の下地になったのかもしれません。運動が出来なかった分、勉強を得意にさせようと思うお母さんが居ました。小学生の頃はお勉強が出来るとお母さんや先生が褒めてくれる嬉しさで頑張ってました。中学生の時は勉強ができると女の子にもてると思いこんでたので、頑張りました(でもバレンタインデイには誰もチョコをくれなかった 2015/2/14ブログ参照)。当時は塾に行くこともなく、中三の夏休みは全てを文化祭の準備に費やして、ものの見事に志望校には落っこちてしまいました。でも、今から思うとそれが良かったのかもしれません。おだてられると木に登ってしまう性格です。一方、壁が立ちはだかると凹みまくります。もし、志望校に行っていたら、もっと優秀な同級生の中で引け目を感じてやる気を失っていたと思います。第2志望の高校は都内のマンモス男子校。部活は少林寺拳法部。とても女の子と知り会える環境ではありません。他にやることも無く、片道2時間かかる通学では遊んで帰る暇もなく、電車勉強をするしかありませんでした。だから、高校ではあまり楽しい思い出がありません。共学だったら、、合コンしても帰れる通学距離だったら、、お医者さんにはなれなかったかもしれませんが、もっと豊かな青春を経験できたかもしれません。お勉強するしかない環境と先生のおだて方のうまさで、医学部を受ける決意を固めてしまいました。

でも、、前回書いたように「本番には弱い」のが得意です。共通1次試験(今で言うセンター入試)はボロボロでした。試験当日は雪が降っていましたが、帰り道の記憶がなく、気がついたら玄関の前に居ました。「これじゃとても医学部なんて無理」。諦めかけていた時に、当時の筑波大学の医学部なら小論文と面接だけしかないことを知りました。そこならもしかして、、受けてみることにしました。ダメもとです。開き直れたのか本番でも初めて落ち着くことが出来ました。面接ではマンガが大好きで、勉強しているふりしてこっそり読んではお母さんに怒られていた話や、試験前になると現実逃避に以前読んだコミックを第1巻から読み直したことなどを熱弁しました。それを面接官が「面白そうなやつ」と思ってくれたのか、ビリッケツで受かりました。浪人を覚悟していたので合格発表は見に行かず、駿台予備校の難しすぎる問題に「ここも無理」と嘆いている最中に、取りあえず見に行った親から電話がありました。「何故だか受かってる」。人生何が幸いするのか分からないものです。喘息でなければ、志望校に落ちていなければ、1次試験に失敗していなければ、お医者さんにはなれなかったかも知れません。

お医者さんのお勉強はお医者さんになってからが本番です。お医者さんになってからは目の前の患者さんを治したくて、必死にお勉強しましたよ。大学病院、救急病院、クリニック、何処に行っても覚えなければならないことがいっぱいです。ただ、お勉強が出来るから良いお医者さんになれるわけではありません。いっぱい患者さんを診て、病気だけでなく患者さんの持つ背景も理解して、共感して、寄り添って、そして、お勉強以外にも色んな経験をすることが一番大事なんでしょうね。だからお友達と一生懸命遊ぶことも大事ですよ。れんのすけ君、らいさちゃん、このクリニックがつぶれる前に跡を継いでくださいね。あと、15-20年、、う~む、、いっぱい飛び級して、5年以内に継いでくれると助かります。

 

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