クリニック通信

2017年2月25日スマさん

こんにちは。「春一番」が吹きましたね。畑の畦道にはいつの間にかオオイヌノフグリが一面に小さな顔を見せて「春が来るよ~、春が来たよ~」と囁いています。その傍らでホトケノザが「うむ、四季の移り変わりも世のことわり(理)ぢゃ、、」と呟いています。暖かい春はもうすぐです。目や鼻が痒くなってきた方は2015年3月4日ブログ「スギ花粉症かな?」をご覧ください。

昨年末、筑波大学付属病院小児科教授である須磨崎先生が退官されました。筑波大小児科では滝田先生、松井先生に次ぎ3代目の教授でした。皆さん私には思い出深い方々です。須磨崎先生は特に。

私は医師になりたての頃、筑波大学付属病院で1年の研修を経て北茨城市立病院に赴任しました。30年近くも前のこと。研修制度がまだ確立していなかった頃です。北茨城市立病院はその地域の拠点病院で、あらゆるタイプの怪我や病気の患者さんが訪れます。夜の当直はたった一人で小児はもちろん、成人の内科も外科も救急車も受けなければなりません。大学では一般診療をする機会がなく、こどものかぜ薬の出し方もよく知らないペーペー医師の赴任は、行く方も来られた方もたまったものではありません。本の一杯詰まったバッグを引きずりながら、青ざめた顔で救急外来に向かう私を見て、待っている患者さんはさぞかし不安であったことでしょう。

その病院に一緒に赴任したのが、当時筑波大学病院小児科講師であった須磨崎先生と、私の1年先輩の福島先生でした。ここからは親しみを込めて「スマさん」「フクちゃん」と呼ばせて頂きます。

スマさんはとにかく頭の良い人で、大学時代にボート部で鍛え上げた体と声を兼ね備えていました。頭の中に沸き上がった膨大な考えを強靭な肺活量で一気に喋りまくります。上背がある上に私より早口で声が大きいので、何だか怒られているようにも感じてしまいますが、そうでないのは人懐っこい目が笑っているからです。喋っている途中で「分かる?分かる?」と何度も聞いてきます。当然追いつけていないですが、言葉の迫力に押されてつい「ハイ、、」と言ってしまいます。すると、「じゃあ、これとこれとこれ、読んどいてね」と文献の束を渡してきます。夜中の2時です。そう、スマさんはやたらと夜に強いのです。そして朝はとても弱い。頼まれて何度か朝にお迎えに行ったこともありました。小児科外来診察室で寝泊まりをしていたこともありました。こっそりばらしてしまいますが、北茨城の冬はとても寒いのにも関わらず、ヒーターを買うお金でラジカセを買ってしまったので、自宅の方が寒かったことも理由のようです。フクちゃんは常に穏やかで冷静で、たった1年だけ上なのに何でも知っていて何でも出来ました。ただ、本人は「そんなことない」と言い張るものの、イントネーションが微妙に訛っていました。何処の生まれだったのだろう。

私の医師としての殆どが北茨城市立病院時代に培われたと言っても過言ではありません。スマさんやフクちゃんの背中から学んだことばかりです。診療後に3人でよくご飯を食べに行ったのは、とても楽しく貴重な時間でした。診療では教えられるばかりでしたが、カラオケでは私がスマさんの師匠でした。下戸のフクちゃんをビールが一杯飲めるようにしたのも私です。。8か月してスマさんは大学に帰りました。厳しい冬を2人きりで支えあったフクちゃんは翌年の春に帰り、私は2年を北茨城で過ごし大学に戻りました。3人トリオの復活です。偉い人なのに会うと冗談ばかり言い合っていました。その後、時を経てスマさんは教授に、フクちゃんは准教授に就任しました。最強のコンビです。お勉強の嫌いな私はお隣の筑波メディカルセンター病院で救急医療を続け、クリニックの開業と言う違う道を進みました。開業の決意をスマさんに話した時に少し淋しそうに見えたのは、多分私の思い込みでしょう。

クリニックの内覧会には準教授に就任する前だったフクちゃんが内覧会に来てくれました。既に教授だったスマさんは立場上来ることが出来ませんでしたが、奥さんが代わりに来て下さり時計をプレゼントしてくれました。今、クリニックの受付に掛けてあるディズニーのオルゴール式時計です。定時でオルゴールが流れるのですが、私には何故か「分かる?分かる?」と聞こえてしまいます。

スマさんは教授を退官しても活躍し続けます。今度は茨城県立こども病院の病院長です。フクちゃんはスマさんの去った大学を切り盛りしています。私は私なりに小児医療の裾野から子供たちを守り、スマさんやフクちゃんを応援していくつもりです。明日も日曜診療頑張らなくちゃ。

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