クリニック通信

2013年6月12日父の背中

こんにちは。今日はしとしとと梅雨らしい静かな雨が降っていますね。鼻炎を患って動物病院で処方された薬を無理やり飲まされたウサは朝からふてくされています。

もうすぐ父の日です。私の父は北海道に生まれました。家庭の事情で大学に行けず、高校卒業してすぐに銀行に就職しました。私は喘息を発症し、東京に転勤して古い社宅に引っ越して間もなく重症化しました。1か月を超える長期入院の間に父は私のために転地療法を決断し、埼玉の近郊に建売住宅を購入しました。過激なラッシュを伴い片道2時間を超える通勤時間と閉店後の残務整理のため、朝は6時から夜は12時近くまで働く毎日は相当なストレスと疲労を生んだと思いますが、父が家庭で文句を言うことはありませんでした。

そんなことを理解しない私は中学に入ると相応に反抗期に入り、父を疎ましく思うこともありました。当時「11PM」と言う、社会問題も扱うけれどちょっとエッチな話題も扱う深夜テレビ番組がありました。血気盛んな中防だった私は番組欄の文言に妄想を膨らませ、寝る前にテレビのチャンネルを合わせ、ボリュームを最小にし、スイッチ音もしないようにスイッチを入れたままコンセントを抜いて寝たふりをしました。放送が始まり、お目当ての話題に触れる頃にこっそり起きだし、暗闇の中でコンセントを入れ、さあ見よう、という時に何故か父が起きだして来るのです。慌ててコンセントを抜き、トイレに来たふりをしたのですが、その時は「このくそ親父~!!」の思いでいっぱいでした。もしかしたら父も同じ目的だったのかも?一緒に見たら親子の絆が深まったのかもしれません。そんな頃父は2人きりの車中泊で猪苗代湖に連れて行ってくれました。その時何を話したのかは覚えていませんが、今から思えば父は私とのわだかまりを気にして企画をしたのでしょう。

思春期の終わりとともにわだかまりは消え、就職する頃には父を男として見るようになっていました。とにかく人との絆を大切にする誠実な人です。学歴の問題で大きな出世は出来ませんでしたが、仕事を超えて多くの人と関わり、引退しても尚その絆を保ち、今でも毎年数百通に渡る手紙や年賀状をやり取りしています。80歳を超えた今もあらゆることに興味を持ち、多くの人と交流し、ボランティアに参加し、1日1万歩以上歩き、数十冊のノートに毎日エッセイを書き、人生を楽しみぬいています。

「医学博士になったぞ」、「全国有数の救命救急センター病院小児科のトップに立ったぞ」、「小さいけれども院長になったぞ」、「どうだ、息子はこんなに成長したぞ」、毎回そう思っては父を見るのですが、いまだに父の背中が見えるばかりです。「生き方」においてはまだまだ父にかないません。私はそんな父を男として尊敬しています。「早く追いつかないと寿命が来ちまうぞ」とその背中が言っているようです。

記事検索

カテゴリー一覧

年別一覧

ご予約方法はこちら

クリニック通信

リンク

診療日カレンダー