クリニック通信

2012年5月9日唄うお医者さん(後篇)

こんにちは。性懲りもなく後篇です。

邪まな動機で始めた音楽も「筑波フォーク村」に入ってその夢は潰えました。でもサークルを辞めることはありません。むしろ医学部より色々な学部の変なキャラクターばかりいるこのフォーク村にのめり込みました。上手く演るより受けを狙うことに命をかけるこのサークルでは、22時にミーティング終了後23時に夕食を食べて、0時からコンパを開き、深夜の2時から誰かの部屋で2次会を始め、昼にタモリさんの「いいとも」の声に起こされると言う、苦労して入れてくれた親にはとても言えない生活を送っていました。成績もとても親には言えないもので、毎年留年しないか冷や冷やしていました。私の音楽生活で唯一かつ致命的な問題は私が「音痴」であったこと。黙々と独りで練習していたためサークルに入って初めてその事実に気づいたのです。親は知っていたものの真実を息子に伝えていませんでした。何とか克服しようと、当時まだ雑木林だった「桜ニュータウン」の辺りに夜な夜なギターを持って歌の練習に行きました。林の奥からうめくような調子の外れた歌声は夜の闇に乗って遠くまで漂い、さぞ近隣の住民を脅かしたことでしょう。結局、コンサートで私が歌うことは殆どありませんでした。歌うようになったのは医者になって10年程してからです。音痴は幸い周辺住民の恐怖を代償に少しは改善し(いや、今も怪しい、、)、在職していた筑波メディカルセンター病院でスタッフの送別会や病院の創立記念パーティや入職者歓迎会などで自作の曲を披露するようになりました。作る歌は看護師さんなどスタッフの日常を綴ったものが中心で、日々の仕事から得られた言葉は共感されるのか、看護師・介護士・事務の方などの結婚披露宴にも呼ばれ、20組以上のカップルに歌いました。今も年に1回サークルのコンサートに参加しています。人間関係の狭くなりがちな医者の世界で、歌を通じて色々な人と絆を結ぶことができました。動機こそ怪しかったものの得られたものはとても大きかったと実感します。診察室の2室には開院に際して送られたサークルのみんなからの寄せ書きが今もこっそり置いてあります。 私の大事な宝物です。

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