クリニック通信

2017年10月15日涙の国際学会-後編ー

気を取り直して続き、、、

いよいよ発表する時がやって来ました。英語はもちろん間に合いませんでした。

飛行機の中は当然ながら外国人だらけ、空港に降りると日本人など一人もいません。道に迷った子犬の心境です。地下鉄で早速迷い、親切な女性が助けてくれました。何処の国にも優しい人がいっぱいいます。そして、発表前日に学会の受付をしに行きました。何と、受付をした人には記念品としてデイバッグと学会ラベルの貼ってあるワインをくれるのです。外国の学会って気前がいいんだなあと感心しました。その分会場費が高いのですが、病院がある程度研修費を出してくれるので呑気なものです。ポスターを貼りに行って、そこまでは順調、しかし、帰るときに会場内で女性に「トイレは何処?」と尋ねられました。突然の質問に私はそれが理解できませんでした。いや~な予感がしてきました。

実はポスター発表にはルールがありました。一定時間ポスターの前に立って、参加者からの質問に答えなければならないこと。司会者が参加者と一緒にポスターを見て回り、発表者はその前で発表内容を説明をして、質疑応答に応じなければならないことです。私は日本の学会では「口演」しかして来ませんでした。「口演」とはスライドを提示しながら発表内容を10分程度説明するものです。口演は聴衆こそ多いのですが、用意した原稿で喋り、2~3分の質疑応答に耐えれば終わります。それなら予め喋る練習が出来、遅めに喋って質疑応答の時間を削ると言う、悪の裏技を使うことも出来ます。「ポスター貼った後は何処に行ってもいいんだよ。」頭の中では耳が伸びて髭と尻尾を生やし、キツネの顔になったお師匠さんがニタリと笑っていました。

発表の時間が迫ります。私はポスターの前に立ちました。10m程離れて、、。発表者と気づかれないように、腕組をして必死に名札を隠して、他の発表者のポスターを見ているふりをしていました。一人だけ見つかって質問を受けましたが、怪しげな回答に複雑な顔をして去って行きました。冷汗だらだらです。そして、ついに司会者が現れました。私にはにこやかな顔をした閻魔様に見えます。端から順に発表者が説明を始めました。皆さん、国籍が違うのに流暢な英語です。いよいよ私の番です。頭が真っ白になり、言うべきことを全て忘れてしまいました。いつもより更にモゴモゴした低い声で、日本語交じりの変な言語を早口に喋り始めました。魔法使いの呪文のような言葉に、聴衆が困った顔をしているのが分かります。そして、、緊張のあまりに手が滑って持っていた資料を派手にばら撒いてしまいました。必死に搔き集める私の肩をそっと叩き、司会者が諦めた様な顔で言いました。「OK、もう充分だよ。」

その後のことは記憶にありません。気が付くとホテルの近くのホットドック屋さんの前にぼ~っと立っていました。お店の人は青白い顔をした東洋人が無表情で立ちつくしているので、ちょっとビビっています。ホテルに戻ると観光から帰ってきたおかみさんが、色々喋っていましたが、言葉は頭の中をよぎるだけです。

そんなダメダメな私をお師匠さんは根気強く指導して下さり、その4年後に何とか学位をとることが出来ました。95%お師匠さんの力です。よっぽど匙を投げたかったでしょうが、実は筑波大の研修医時代は私がお師匠さんだったので、出来なかったようです。お師匠さんは今では小児遺伝子研究においては日本でも有数の教授です。元筑波大学小児科教授の須磨さんといい、私は何故か人には恵まれています。

英語が大事なことは確かです。海外での孤独感は身に染みて分かります。そのうえ、お子さんが病気になれば、その不安は図り知れません。その不安を拭うためにはきちんとしたコミュニケーションが必要です。その後もNOVAには通い続け、風邪ひき程度の診療では怪しいながらもお話が出来るようになりました。

今も自宅の冷蔵庫には記念に頂いたワインが置いてあります。もし、国際学会でリベンジ出来れば飲むつもりです。でも、次は、、、ないなあ。

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